S_6356241439224

お檀家さまの元に寺報「ごんねん」が届きはじめてるようで、ありがたいことに、あたたかいご感想を多数頂戴しております。今回「ごんねん」で「御布施のおはなし」という特集を組んだのは、お寺とお檀家さまとが真正面からしっかりと向き合えるように、という住職の思いを、お檀家さまに知っていただきたかったからです。

護持会費・年会費・維持費・管理費・強制寄付・強制参加・入檀料・離檀料・その他一方的にお寺からお願いする費用はない旨、御布施の多寡は一切問わない旨、必要であれば葬儀や納骨を無償でも行う旨、などを明文化してご説明するのは、お寺としては少々勇気がいることかもしれませんが、改めて住職の覚悟や思いを感じていただきたかったので、瑞相寺では寺報に掲載いたしました。

「お葬式の御布施はお気持ちで」という言葉に不透明感を抱かれる方もいらっしゃると思いますが、やっぱり大切なのは「お気持ち」です。気持ちがこもった御布施であれば、金額の如何に問わず尊い御布施です。瑞相寺では御布施に関して一切多寡は問いません。もし具体的な金額を聞かれたら、過去100件の葬儀での御布施の金額、平均値、中央値など、お伝えをしようと思えば簡単ですが、お寺から伝えてしまうと、その金額にとらわれてしまってはいけませんので、できれば聞かないでください。同じ1万円でも、人によって、経済状況によって、信仰によって、価値観は様々です。葬儀式を終えて、ご家族皆さんで時間をかけてしっかり考えた上でお包みいただいても結構です。

私は、人々に必要とされなければ立派な伽藍は必要ないと思います。また、人々に必要とされなければ、住職も必要ないと思います。毎月たくさんの方が瑞相寺に相談に来られますが、御布施のことで悩まれている方は本当にたくさんいらっしゃいます。ひと昔前と違って、お寺の内部事情がしっかり広がる時代になりました。私もご相談者さまや業者さんから、具体的な情報を多数お聞きしております。素晴らしいお寺もあれば、本当にひどいお寺もあります。

諸行無常、必要とされるお寺は残りますが、必要とされなければ、この先淘汰されるでしょう。何も不思議なことではありません。お寺は何百年もの歴史があり、歴代の住職、歴代のお檀家さま、たくさんのおかげがあって今があります。何百年続いてきた由緒あるお寺も、一代の住職の不徳によって、一瞬で消滅してしまう時代に入りました。長い歴史が積み重ねたものは本当に偉大です。過去の栄光も失敗も含め、今この瞬間がこの先のお寺の歴史に刻まれます。この一瞬の住職の選択が、お寺の将来を決定します。お寺は100年、200年、その先を見据えなければなりません。

どの宗派でも、迷ったら宗祖の教えに帰れと説かれると思いますが、莫大な寄付を募って立派な伽藍を建てて、お檀家さまに大きな負担を強いることを、果たして各宗派の祖師は良しとされるでしょうか。ある方は「何百万円の請求があったので、老後の資金を切り崩してお寺に寄付をした。」「人にお金を借りて寄付をした」という方もいらっしゃいました。お寺への思いがあり、喜捨の精神でお寺に寄付をされる心は尊いものです。しかし、強制的に寄付を募ったところで、全ての方が納得して寄付をされているかどうかは、火を見るよりも明らかです。「寄付を募ってナンボ。寄付を募るから信仰心が育まれる」というお寺側の理論は完全に破綻しております。私は自由な意思で、自由に寄付をする方がよっぽど信仰心は育まれると思います。

お檀家さまの声にならない悲痛な叫びの上にできあがった立派な伽藍を見て、お念仏の元祖、浄土宗の宗祖である法然上人なら、それを見て決して喜ばれないと思います。各宗派の祖師方も同じだと思います。法然上人の臨終が近づいたとき、お弟子さまは法然上人が往生された後の遺跡について尋ねられました。法然上人は「念仏の声する所皆我が遺跡なり」とお示しになりました。その意味をもう一度考えねばなりません。

時代の変化に伴って、お墓やお葬式のことでお悩みの方が大変多いように感じます。瑞相寺では毎月たくさんの方のお墓やお葬式のご相談をお受けしますが、先月はこのようなご相談もありました。「高いお墓の管理料を取っているのに、いざ管理が必要な事態になったらお寺は関知せず、全て自己負担で数百万円払わされた。」「法外な寄付の請求が来て、寄付の全体像も不明。」「お葬式の御布施を80万円請求されて、何度も頭を下げたら50万円になった。それでも本当にきつかった。」「故人の目の前で、この戒名ならいくら、払えないなら葬儀はしないと言われた。」「お墓を他に移そうと思ったら30万円よこさないと埋蔵等証明書(改葬許可申請書)に署名捺印してくれない。」「檀家の永代供養なら1000万と言われた。」「お墓に納骨をしようと思ったら3万円請求された。」とんでもないお寺ですが、その他書くに堪えないお話もまだまだございます。葬儀社、仏壇店、石材店などにも聞くと、そのお寺はどんどんお檀家さまが減ってきているようです。

お檀家さまが減っているなら、住職自ら努力をして、お檀家さまや地域社会から信頼を得て、お檀家さまのため、地域社会のために尽くすのが筋だと思います。必要とされるお寺であれば、結果は後からついてくるでしょう。本当に必要で大切なお寺を見放すわけがございません。お寺は最後まで性善説に立つ方が良いと思います。関わる方に負担を強いるのは、お寺の首を絞めるのと同義です。

お寺が心の支えになっても、負担になっては意味がありません。瑞相寺では歴代住職が培ってきた伝統を今後も引き継いで参ります。「寺檀紛争」という言葉もありますが、何とも悲しい言葉です。本来お寺とお檀家さまとでは、一緒の方向を向いて歩むものなのに、対立しては意味がありません。寺檀関係で言うならば、瑞相寺の場合は極めて良好です。総代さんを筆頭に、お寺に対する誇りや思いを強く持ってお寺を支えてくださるお檀家さまがたくさんいらっしゃいます。また、年々増えております。本当に瑞相寺のお檀家さまには日々感謝してもしきれません。

瑞相寺から他のお寺に移っていただくことは自由にしていただいている中で、瑞相寺のお檀家さまの中には、遠方にお住まいの方でも、岩国にたびたび帰ってきてくださり、お寺にお参りをしてくださる方もかなりいらっしゃいます。「血縁より結縁」の時代です。少子高齢化、人口減少の世の中で、お墓や遺骨を人質のようにしなくとも、思いや信仰でつながる関係は、地縁や血縁よりも密接で強固な関係になると思います。

幸い岩国市には、僧侶としての志を持たれご活躍されているご住職方や葬祭関連事業者の方々がいらっしゃいます。今後は御布施やお墓、お葬式で悩まれている方の不安を解消できるように、寺業パートナーの方々の他、士業の先生方や行政の方々、あらゆる業種の方々のご協力とご支援を仰ぎながら、近い将来、具体的なものにしてまいります。どうぞ皆さまご協力ください。