「生死事大 無常迅速」
皆様いかがお過ごしでしょうか?

本年は特に、新たなご縁をたくさんいただきました。感謝感謝の毎日です。今年もあとわずかになり、瑞相寺では予定していた本年の法務が、明日で全て終わりです。もちろん住職は365日24時間何かあれば飛んでいきますが。

 

 

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先日法務から帰ってくると、瑞相寺に90歳くらいのおじい様がお参りに来られました。昨年往生された方のことを思い、「あなたにはお世話になった」と、一生懸命阿弥陀様に語りかけるようにお参りされておりました。
往生された方のご子息様は、現在お仕事で海外やご遠方にいらっしゃるので、なかなかお会いできず瑞相寺に来られたそうです。

以前そのおじい様がお参りされた際に、法然上人のご法語をお伝えいたしました。法然上人と関白九条兼実公が、訣別をされる際のご法語です。

 

 会者定離は常の習い、今始めたるにあらず。何ぞ深く嘆かんや。宿縁空しからずば同一蓮に座せん。浄土の再会、甚だ近きにあり。今の別れは暫くの悲しみ、春の夜の夢のごとし。信謗ともに縁として、先に生まれて後を導かん。引摂縁はこれ浄土の楽しみなり。
それ現生すら猶もて疎からず。同名号を称え、同一光明の中にありて、同聖衆の護念を蒙る同法、尤も親し。愚かに疎しと思し食すべからず。
南無阿弥陀佛と称え給えば、住所は隔つといえども、源空に親しとす。源空も南無阿弥陀佛と称えたてまつるが故なり。念仏を縡とせざる人は、肩を並べ、膝を与むといえども源空に疎かるべし。三業、みな異なるが故なり。

『元祖法然上人御法語』後編第29「一蓮托生」より
(『法然上人全集』「十九、御流罪の時門弟に示されける御詞」)

 

出会いがあれば別れがある。しかし、南無阿弥陀仏とお称えすれば、阿弥陀様の極楽浄土で、亡き方々と再びお会いすることができます。たとえどこにいようが、念仏者、極楽浄土に往生された方々とは大変近い存在にございます。おじい様は、瑞相寺の阿弥陀様に向かって、一心にお称えされておりました。

私もこの出来事をご子息様にメールで報告すると、ご子息様も大変有り難いと、おじい様に感謝されていらっしゃいました。ご子息様も、亡きご両親思いの大変篤信のお方です。

 

 露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花のうてなぞ

(法然上人御作)

岩国にいても、海外にいても、南無阿弥陀仏とお称えする者は心は同じでございます。