年に一度、浄土宗山口教区では、檀信徒大会という行事が開催されます。各組(お寺の地域ごとの単位)持ち回りで、今年は周央組様主幹のもと、光市で開催されました。

 

檀信徒大会 光市民ホール

 

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「第31回 浄土宗 山口教区 檀信徒大会 併修 おてつぎ運動推進大会」が光市民ホールで開催されました。山口県内から、浄土宗の僧侶と檀信徒、800名が集まりました。
瑞相寺からは15名で参りました。

 

 

死を視野に入れて生きる

 

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著作『大往生したけりゃ医療とかかわるな』で有名な、老人ホーム「同和園」付属診療所所長中村仁一先生の公演を拝聴いたしました。「人生最後まで輝いて生きるために~仏の教えを日常に生かす~」というテーマのもと、「生老病死」について大変考えさせていただきました。

先生は「死を視野に入れて生きる」という言葉を強調されておりました。特に私が心に残ったのは「母の日には母親が死んだ時を、父の日には父親が死んだ時を、敬老の日は祖父母が死んだ時を、結婚記念日には配偶者が死んだ時を、自分の誕生日には自分が死んだ時を考えたらいい」というお言葉です。

仏教には「諸行無常」という根本原理がございます。あらゆるものは移り変わっていき、常に留まっているものはございません。命があるものはいずれ死ぬときがくる。当たり前のことですが、なかなかしっかりと受け止めることができないことではないでしょうか。自分以外もいずれ死にますし、自分自身もいずれ死ぬわけです。

S__10682399最近は「終活」ブームで、自分の死んだ時や死んだあとのことをいろいろと考える方が増えてきました。これは大切なことだと思います。
自分の死を見つめるということは、それまでに残された時間をしっかりと生きることにつながります。

 

 

年寄りに残された果たすべき役割

 

先生は最後、「年寄りに残された果たすべき役割」として、次の二点を挙げられました。

  • 不具合と上手に折り合いをつけて「老いる姿」を見せること
  • 自然死の穏やかな「死にゆく姿」を見せること

税制が変わり、相続税や贈与税などのいわゆる「節税対策」を考える人が増えてきたのも終活ブームの一因かもしれません。最近ではドラマでも放送されていますが、「遺産争族」という言葉も出てきました。遺産を元に親族が争うわけです。極楽浄土にはお金は持っていけないので、子供や孫のために遺産を残すのは大切かもしれませんが、それが争いのもととなっては本末転倒です。

先生は上記二点を「最高の遺産」とおっしゃいました。人は誰しも生老病死の苦しみから逃げることはできません。自分自身の老いて死んでいく姿を見せて、その真理を遺されたものに理解させるのは、なるほど確かに最高の遺産であります。

お釈迦様の有名なエピソードに「四門出遊」というものがあります。すなわち、お釈迦様が出家する前の太子であったとき、郊外の遊園に遊びに行くためにカピラ城の東門を出た所で老人に出会い、南門を出たときには病人に、西門を出たときには死者の葬列に会って、諸行無常を感じ、さらに北門を出たときに出家者に出会って、そこに自分の進むべき道を見出したとされるものです。

同じ様に、大切な人が老いて死にゆく姿を見て、諸行無常を感じずにはいれないでしょう。「先立つものは善知識」という言葉がございます。「善知識」とは「仏教の真理を教え、導いてくださる人」のことです。先立つものは善知識、つまり、先に阿弥陀様の極楽浄土に往生される人は、我々にとって、導いてくださる存在でございます。

自分の死を見つめるということは、自分自身がこれからどう生きていくかにつながります。生かされている、その一瞬一瞬を大切にできるでしょう。また、自分の子供や孫たちに、多くのことを伝えることができます。同じように、その姿を見て感じるものがあった方は、人生の一瞬一瞬を大切にするでしょう。

 


 

 

檀信徒大会の最後に、大会主催組の組長様が「棺桶を買って自分で入ってみた。すると憑き物が落ちたように楽になった。」とおっしゃいました。棺桶をずっと本堂に置いておくのは気が引けるので、いつか私も、何かの機会で納棺体験してみたいと思います。ちなみに「棺桶の中は落ち着くけど、少し狭い」そうです。