95歳で往生されたお母様の、3回忌法要を奉修したあとにお檀家様よりお聞きした話です。

 

 

その方は2年前にお母様をご自宅で看取り、ご自宅で通夜葬儀をされました。
2年前に「ご自宅で葬儀をするのは大変ですが、なかなかいいもんですねぇ。」とお話ししたのを覚えております。

 

3回忌法要が終わり、「諸行無常」という言葉についていろいろとお話しをしました。
その中で「3回忌、あっという間でしょうか?」とお聞きすると、私の予想に反して「いや、10年も20年も経ったような気分で、全然寂しくありません。」とおっしゃいました。

 

お母様とずっと一緒に過ごして、介護をして、しっかり看取られたその方は、
「母とは生前お互いに気兼ねがありませんでした。時には自分のプライドを捨ててしっかり介護をしました。自分にできることは全てやったので悔いはありません。」という風におっしゃいました。

 

また、その方は同じ地で長年お母様と暮らして、「死」の前後を明確に分けるのではなく、生と死を連続したもののように捉えていらっしゃいました。生と死の連続性の中では、死が終着点ではございません。だからこそ、その方はお母様の死がずっと昔のように感じ、寂しさを感じなかったのではないでしょうか。

 


 

 

浄土宗の教えでは、「死」は永遠の別れではなく、「南無阿弥陀佛」とお称えすれば、必ず我々も同じ極楽浄土に往生することができ、先に往生された方と再びお会いすることができる、と説かれております。
生と死は続いております。死んで終わりじゃありません。